自分の望むように物事が進まない、とか、大雑把でもいいからスケジュールを組みたいけどそれさえ出来ない、とか、そういうことでストレスを感じている人は今多いんじゃないかと思います。
多くの場合、それは他でもないパンデミックのせいで、特に「出たり引っ込んだり延ばされたり」する緊急事態宣言はそのストレスを増強しているとは思うのですが、思い返すと、世界が今のような状況になる前でもそんな風に思うことはありました。
ストレスを自覚するようになるのは、だいたいの場合 ”にっちもさっちも行かない状態” がしばらく続いている時なので、心理的な負担は結構大きくなっているはずです。
例えば職場で、例えば家庭で、例えば友人とのやりとりで。様々な人間関係の中で ”思うように行かないストレス” は発生します。
が、私がこのタイミングで感じている「何かしようと検討しても結局はその時の状況と判断でしか何も決められないし、先のこともまだ全然分からないから何もしようがないよね」という心境に似たやつがあるな、と思い当たったのが「育児」でした。
それも、未就園児、つまりまだ会話も成立しないくらいの幼子の育児です。
現在、環境的に自宅でテレワークをされている方も少なくないと思いますが、家に幼子がいた場合の仕事の効率の悪さって、相当なものなのではないかと推察します。
もちろん、自分の就業時間の間に幼子の世話をしてくれる人がいる場合は別です。
あと、恐ろしいほど聞き分けが良くて、自分の休憩時間に合わせて食事を要求したり排泄をしたりしてくれるスーパー赤ちゃんと暮らしている場合も除外します。
まだ社会に対する理解が乏しく、会話でのコミュニケーションが成立しない小さい子供と過ごす時、私たちは、自分の望むように物事を進めたり、大雑把なスケジュールさえ組むことが非常に難しくなります。
私たちの仕事の場に彼らが同席していた場合、例え優秀なナニーであるYouTubeにお世話を依頼していても、ゆっくり仕事に没頭できるなんてことは有り得ないことを、リモートワーカーである保育者たちは知っています。
そして、それは仕事に限ったことでなく、保育者たちの日常生活全般において言えることです。
父や母たちは、多くの場合において、その時の状況やタイミンングに関わらず、小さな人のために自分たちの時間を差し出します。
「それが育児の喜びである」と言われると、「確かに。」と思うわけですが、やはり父も母も人間です。
四六時中自分の時間を昼夜問わず差し出していると、心身ともに疲弊してしまうのです。
では、ストレスを感じてしまう、その原因は何でしょうか?
まずは、肉体的なしんどさ。
常に気を張っていたり、まとまった睡眠時間が取れないことから、単純に疲労が溜まっていきます。
ゆっくり体が休まらないことで体調を崩しやすくもなるでしょう。
加えて、そのコンディションでエネルギーの塊と向き合っていかねばならない時間が続いていくわけですから、身体にストレスがかかっても全くおかしいことではありません。
次に、精神的なしんどさ。
フィジカル的な辛さがメンタル面に影響を及ぼすのは自明の事実ですが、例え体力に満ち満ち溢れている時でも、思うようにならないことが連続すると、私たちはイライラしたり鬱々したりしてしまいます。
私の場合は、「完遂できずに中断せざるを得ない」ことが続いたり、いくつも積み重なっていった時に、ストレスを感じていたように思います。
「またか。。。」というマイナスな感情の連続と蓄積は、確実に精神を蝕みます。
”右の頬を殴られたら左を差し出す”みたいなことは、当然永遠には続けられないのです。
いくら企画を提出し続けても没になるどころか一瞥もしてもらえない。
関係改善を図ろうと何度コミュニケートしても全く歩み寄りが見られない。
やっと解除になるかと思った緊急事態宣言が再度延長になる。
など、”期待や希望の挫折の繰り返し” は大きなストレスとなります。
そんな時、例え些細なこと一つでも自分でハンドル出来ることがあれば、かなり気持ちが楽になります。
承認欲求・所属欲求についてのコラムでも似たようなことを書きましたが、欲求を”分散” することで心の安定を図るという方法です。
自分で自分をご機嫌にするスイッチを作っておく、というようなシンプルなものでも良いと思います。
このハーブティーを飲めば必ずリラックスする、というような。
現在の予測不能なシチュエーションのように、自分が何らかの努力をしたところで解消することが難しい場合には、そんな小さなスイッチをいくつも持っておくのが良さそうです。
未就園児の育児もパンデミックも、必ず落ち着く時が来ます。
ストレスを受け入れながら毎日を営んでいる自分を誇りに想い、小さなスイッチを押しながら、達成感や充実感を積み重ねていきましょう。