Room Me Mine

迷子のアラフォー部屋

【vol.001】適当に「あきらめる」ことが素敵なアラフォーの条件である。

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御歳40にもなると、40なりのがっかりイベントに対峙することが出てきますが、
それを全てチャンスに変えていこうと鼻息荒く述べたのが前回のコラムです。

rmm2021jp.hatenablog.com

「これが40か。。。」と分かり易く溜め息をつく一方で、アラフォーになる(年を重ねる)ことの良さのひとつは、適当さが身につくこと
色々ゆるくなるというか。
「ま、いいか」で流せることが増えてくる。

肉体的にしんどくなってくるし、以前は何でも無かったことが簡単でなくなってくるし、面倒くさいと思うことが増えてくるし、実際面倒だし、集中力とか忍耐力とか執着心とかだんだん薄れてくるけど、でも、逆にそれに救われることもあったりして。

人間関係もそうですが、色々と「あきらめる」と、とても楽になることがたくさんあります。
諦めると言っても「断念した・挫折した・敗北した」的なネガティブな意味合いではなくて、「そのままのこと・ものとして受け入れる」「許容する」という感じでしょうか。

「諦める(あきらめる)」という言葉の語源は、「明らむ(あからむ)」。
つまり、本来の意味は「明らかにする」なのです。

いま自分の周りで起こっていることを明らかにして、受け入れる。
「理不尽だ!許容できない!」と思っても、違いを明らかにして放っておく。
なるほどそういうもんなんだ、とそっとして置いておく。

そういった判断が違和感なくできるようになれば、マイナスな感情とともに一箇所に留まってしまうことなく、次のステージに進むことができるのだと思います。

”それ” を「あきらめる」かどうかは自分で選択できるのです。
その助けになるのが、これまでコツコツと積み重ねてきた40年の経験値と、適度な適当さです。

20代30代の自分より体力やら気力やら衰えているのは紛れもない事実なのだから、それを自覚した上で、今の自分に見合った程度にあきらめる。
その見極めは、around40な自分の腕の見せ所です。

そしてその ”余計なものに固執しなかった” スペースを、アラフォーの余裕としてストックしておきたい。

その余裕・余白は、いつか面倒くさがる自分の背中を押すと期待し、適当であることに誇りを持ちながら、今日もスマートにあきらめの判断を下していきたいものです。