Room Me Mine

迷子のアラフォー部屋

【vol.014】諦めのタイミングを見極めることは食事を腹八分目で止める程度に難しい。

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常々、「中年をご機嫌にサバイヴする術は、上手に諦めることだぜ」と自分に言い聞かせながら生きていますが、そう簡単でもありません。

 

自分の中では「諦める」という言葉にはネガとポジの二つの意味合いがあって、

1)ネガ側面:断念する

2)ポジ側面:許容する

というようなイメージを持っています。

 

適当に”あきらめる”ことが素敵なアラフォーの条件である」でも書きましたが、ご機嫌な中年にとって重要なのは、2)の「受け入れる、許容する」というようなポジティブな意味合いを持たせた「諦め」なのですが、ここに来て「諦め」氏が、ネガティブ意味合いを大量に孕んで迫ってきた為、一度しっかりと向き合ってみることにしました。

この「ネガ諦め」、何が厄介かって、そのタイミングを計るがめちゃくちゃ難しいのです。

 

そもそも、若かろうが年老いていようが、何かを断念したり挫折や敗北を感じたりするような「諦め」は受け入れがたいものであり徒労感が大きいと思いますが、何も諦めずここまで突き進んで来たというブルドーザーのような方は、そう多くはないのではないかと思います。

 

というか、そんな風に徒労感を感じない為の考え方のテクニックとして、「諦め」を「許容」や「受け入れ」として使っていこう、と決意したはずなのですが、早速そのルールを逸脱してしまっているのが、私の今の現状です。

 

簡単に状況を説明すると、

 

許容しがたい人間との関係性の落とし所がなかなか見つからない

 

というところです。

 

自分が社会生活を送っていく上で関わりを持たなくてもいい人物であれば、簡単に・適当にあきらめる事ができますが、例えば家庭や職場など、日常生活の中に結構な割合で食い込んでくるコミュニティに属する人物であった場合は、どうしても「諦めたくない欲」が頭をもたげてしまいます。

 

人間だもの、どうにかコミュニケーションを図る事で諦めなくてもいいかもしれない。

譲歩し合う事が出来れば諦める必要はないかもしれない。

理解を深められたらこの部分だけでも諦めなくてもいいのではないか。

 

というような、非常に「諦めが悪い」状態に陥ってしまうのです。

そして「あ、諦めるタイミングを逃してるな・・・」「ちょっと諦めるのが遅かったな」とか思うのです。

しんどい。

 

諦めきれないのは、なぜなのか。

誰のため?何のため?

突き詰めていくと、やっぱり自分の為なんだろうなと思います。

 

許容できないものを許容する努力。

自分の価値観との齟齬が少なければ、そもそも諦める必要はない。

自分の中の重要度が低ければ、多少違和感を抱いても容易に受け入れられる。

しかし、自分の中で重きを置く事柄についてあまりにも考え方が違うと、忽ち許容範囲が狭まってしまいます。

しかもそれをこちらに押し付けられた場合などは、到底受け入れ拒否モードが作動!です。

 

諦めのタイミングって、本当に難しい。

「もっと早く諦めてれば良かった」って、中年になるとなかなかの重量感があります。

それに気づけた時点で方向転換も可能な訳で、そこまで悲観することではないのですが、残念ながらアラフォーにもなると、その重量感がストレスとなり心身の不調となって現れる事があるので注意が必要です。

 

そこで、諦めの指標をもう一つ増やすことにします。

”許容できるか否か” の判断で「許容できない!」に傾きそうになった時、「その事実・事柄は、自分が諦めないことで、変わるか・変わらないか?」という指標です。

諦めない為の努力をしたところで何も状況が変わらないのであれば、さっさと諦めてしまえ、という指標です。

 

こう書くと、至極当然な事に思えますが、”受け入れ拒否モード” が作動している時はなかなか冷静に判断できないものなんですよね

 

引き戸を押し続けて開けようとするような「諦めの悪い」行為はしていないと自負していますが、例え”PUSH” と書かれたドアであっても、色んな角度や強度で押してみて開かない場合は、”PUSH” と書かれていたとしても、もう押すのを諦める。

別のドアを探す。別の入り方を考える。もう、入る事自体をやめる。

 

どれくらい長く押し続けてみるかは、執着や熱量によって変わってくるとは思いますが、そこはこれまでの経験値を元になるべく早めの “諦めのタイミング” を試算できるよう努めたいと思います。

 

驚くのは、40年生きたとて、まだまだ理解しがたい状況や環境に遭遇することは、決して珍しくないということです。

 

ある意味、それは新しい自分に対峙できるチャンスだと見なし、タイミングを見誤ることなく、深い傷を負わないよう対処していきたいと思う新年度の始まりです。

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