Room Me Mine

迷子のアラフォー部屋

【vol.025】二人で食事に行くだけで面倒なことを考えてしまう大人の恋愛の醍醐味とは。

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最近私はとてもご機嫌で、なぜかというと友達の恋愛が走り出したからです。

私は人の恋愛で当事者以上に盛り上がれるという特異かつ超迷惑体質なんですが、Around 40street の住民歴が長くなるとなかなかそういう話って聞こえてこなくなってきて、だからこそ見つけると目が爛々としてしまいます。

自分は全く関係ないのに、勝手に仕事を頑張れたりします。

そんな友人の一連の出来事に断りなく併走する中で考えたことを垂れ流したいと思います。

 

私たちが誰かと食事に行くという時、それは想像以上にエネルギーを使います。

今はパンデミックな世界なのでいくつかの特別なフィルターがかかってきて、以前よりややこしい部分もあるのですが、ウイルス感染対策はきちんとなされていて、またその対策に対する認識レベルが同等かつ共有できる人との会食という前提とします。

 

その “誰かとご飯を食べに行く” という行為ですが、色々と面倒が先に立ってくる我々の年齢になってくると、その行為自体に相当なエネルギーを要します。

食事する、という行為自体だけでなくて、食事に至るまでのやりとりだとか、誘ったり誘われたりだとか、なんなら誘おうか誘われようかとか、ちょっと日本語が変ですが、そういった水面下のもっと下の部分のことでさえ煩わしい場合もあります。

 

そんな過酷な条件下で、

・お互いがご飯に行こうというモードになった

・二人の都合が合致した

・なんならちょっと楽しみ

みたいなことは、ある意味奇跡的なことだと思ってしまいます。

 

そして、その奇跡が巡ってきたとき、私たちは実に様々なことを思案しています。

私も現在恋愛に足を突っ込んでいる友人も異性愛者なので女性と男性の話になりますが、まだ関係の浅い異性と二人でご飯を食べに行くことになった時、私たちの年齢になると、相手に特定の恋人や配偶者がいるかどうかというのは気がかりな事柄の一つとなります。

元々知り合いだったり共通の人間関係から漏れ伝わる話によってある程度の背景を知っているとかいう場合はそんな面倒はすっ飛ばせるのですが、そういうヒントが与えられないまま湧いて出て来たチャンスの場合、パートナーいるいない問題というのはネックになって来ます。

あ、出会いが婚活アプリ、とかいうパターンは今回の考察の条件からは除外したいと思います。

 

うら若き頃は「相手に特定のパートナーはいないことが前提」みたいな雰囲気で物事が進んでいくことが多かったですし、たとえ居たとしてもそこまでオオゴトになったり少なくとも ”世間” を意識するようなことはほとんどありませんでした。

しかし、それからまあまあ長めの年月が経過した上に多様化する社会を迎えた今、たった二人の人間の関係性でさえ以前より複雑でセンシティブになっていると感じます。

そして、長年塗り重ねられて来た自己防衛本能やもしかしたら余計なかけひきが介在することで、シンプルに「恋人とか配偶者はいるの?」と尋ねるタイミングをうまく掴めなくなったりしてしまうのです。

さらに、そこに中年特有の面倒くささが加わると最悪です。

「ま。いっか」みたいな悪魔的な囁きに流されて問題を先送りし、でも真実に傷つけられることを避けるための小賢しい言い訳や可愛げのない予防線を保険的に用意してみるのですが、結局そんなことしても傷つく時は傷つくのです。

 

特定のパートナーがいるかどうかの確認問題」については、以前ブログに “曖昧な大人の恋愛に突然足を踏み入れてしまったアラフォー女子” というケーススタディでまとめていますので、興味がありましたらそちらをぜひお読みください。

rmm2021jp.hatenablog.com

 

話を異性との食事に戻します。

言葉にするとなかなかややこしい会食までの道のりですが、いざセッティングされると面倒より楽しみの方が優ってくることがほとんどです。

今回の友人の場合は、相手の男性が日時から場所から色々と段取ってくれたようで、その塩梅がまた絶妙だったこともあり、彼女は食事に行く前からだいぶ高まっているようでした。

この段取りのエピソードは、マッチョイズムとかの話をしたい訳ではなくて、「誰かと何かを計画し、それを進行するときにイニシアチブを取ってくれる人には性別関係なく好感を持つよね」というようなことが言いたいのですが、そこを深掘りしていくと、私たちは日々選択することに疲れていてだからこそそんな風にこちらの意図も汲みつつ物事を決定してくれる人に感動を覚えるのかもしれない、と思うのです。

以前書いた記事「選択肢が多いことは幸せ?不幸?」の話にもちょっと繋がります。

 

そして、その "相手からのおもてなし的行為に癒される” と同時に、”相手が自分に対して時間を割いてくれているという事実によって承認欲求も満たされる” など、日常を淡々と過ごすことではくすぐられることがない部分が一気に充足されるんじゃないかと考えました。

 

今回の降って湧いた友達の一連の事件によって現段階で私が出した結論としては、「特に40を超えてからの良い恋愛は、日常の疲れを癒し、自己肯定感を高めてくれるものである」という笑ってしまうくらい前向きで邪気のないものになりました。

もう、「恋する気持ちで肌が綺麗になる」とかいう都市伝説を鼻で笑ってしまいそうな貫禄さえ持っていて、我ながらバカバカしさを超えてちょっと感動すら覚えています。

 

他人の恋愛に乗っかった高揚感によりいつも以上にとっ散らかった内容になりましたが、楽しそうだな、とか思ってもらえると幸せです。

現在恋愛中の貴方に幸あらんことをお祈りしています。