Room Me Mine

迷子のアラフォー部屋

【vol.024】選択肢が多いことは幸せ?それとも不幸??選ぶことに疲れたら考えてみたいこと。

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あなたは日常生活の中で、「選択肢が多すぎて困る」って思うことと「選択肢がなさすぎて困る」って思うこと、どちらが多いですか?

どちらもそんなに意識することなく過ごしているなら、とても羨ましいことです。

私は派閥分けすると、俄然「選択肢が多いことに悩む」派です。

 

数年前にケンブリッジ大学の教授が発表した研究によると「人が1日に行う決断回数は35,000」なんだそうです。

それは「1時間あたり約2,000」、つまり「2秒あたりに1回の決断をしている」こととなり、流石に選択肢が多くてしんどい、と思っている私でもそんな2秒ごとにしんどさを感じてる訳では無いので、非常に驚きの事実でした。

 

2018年に公開された『フォルトゥナの瞳』という邦画の中では「人は朝起きてから夜寝るまで9000回何かを選択している」というフレーズが登場するようなのですが、9000回にしても35000回にしてもかなり膨大な数であることに変わりは無く、私たちは日々脳を酷使しているということが分かります。

 

どこかに行ったり、誰かと話したりする時の、無意識下での選択もたくさんあるでしょうし、「お昼ご飯何食べよう?」とか「明日何時に起きよう?」などと明確にいくつかの選択肢から何かを選んで決断するという場合もあります。

 

私が最近選択肢があることに対して悩ましく思ったのは、こんな壮大な前振りをした上で話すのもどうかという気もしてきたのですが、スターバックスミスタードーナツで商品を選ぶ時でした。

一番記憶に新しい「選択肢がつらい」という思い出は、少し前にスタバに新作のフラペチーノを飲みに行った時でした。

“コーヒーティラミスフラペチーノ” を飲むぞ!と勢い込んでお店に行ったのですが、レジで ”ティーティラミスフラペチーノ” という商品もあるということを知り、頭が真っ白になりました。(←大袈裟)

私はアールグレイ大好きマンなので、「アールグレイのティラミスフラペチーノって、何??」と "好き" が混雑しすぎておかしくなった上に、「でも今日はコーヒーティラミスフラペチーノを飲みにきたんだし、もうそういう口になってるし!!」と完全に脳がバグってしまいました。

一旦レジを離れ、散々迷った挙句、結局ティーティラミスフラペチーノを選び、コーヒーティラミスフラペチーノはお連れ様のオーダーしたものをちょっとシェアさせてもらうことにしました。

パンデミックの時代にややリスキーな行動ですが、ちゃんと未使用のスプーンを使ってお連れ様が飲む前にいただくという卑劣な行為に及んだので、濃厚接触はしていません。

結果、甘々アールグレイフラペチーノは想像通りの味で大変美味しく頂いたのですが、「いややっぱティラミスとコーヒーのハーモニーを味わう為に今日まで楽しみに待ってたんだしコーヒーティラミスにしとけば良かった」って思ったのです。

どっちも飲めばいいじゃん、と思うかもしれませんが、カロリーお化けのフラペチーノを2つオーダーして飲むという猛者のような選択には踏み切れず、私は自分に負けました。

同様に、ミスドの新作が出た時なんかも、「え、まずはどれにしたらいいの?」とむっちゃ悩みます。

こういう時、選択肢が多いことはとても幸せであると同時に、とても辛いことでもあると感じます。

 

私は旅行もとても好きなんですが、20代くらいの気力も体力も満ち満ち溢れていた頃は自分で航空会社やホテルを選択することはもちろん、旅先で行きたいところ・見たいもの・会いたい人・食べたいものなどを全部リストアップして、なんなら一緒に旅に行く複数人の希望を列挙して、それらの欲望を叶えるべくスケジュールを組むのが大好きでした。

そのために取捨選択したり、より安価で効率的な方法を探したりすることは全く苦ではありませんでしたし、そのハードルが高いほど燃えました。

しかし 40を越えた現在は、旅行の日程を決めるのさえちょっと面倒に思ってしまうことがあります。

流石に面倒くさがりすぎでしょ、、とも思いますが、日程を決めるとそこから旅のスケジューリングが始まり、色々と選択し決断していかねばならない日々が待っているんだと思うとウキウキと同時に、否、ちょっと前のめり気味にしんどさがやってきます。

若かりし頃はパッケージ旅行に行く大人に対して「意味が分からない」くらいのことを思っていましたが、今は全面的に支持します。

 

他にも、いくつものショピングサイトで、より良いもの・よりリーズナブルなものを探していた20年前と比較し、現在は、たくさんある選択肢を見るだけでちょっと頭痛がしてきます。

以前、ファッション通販サイトのZOZOタウンに「定期便」というものがありました。

自分のファッションの好みやよく購入するブランド、あと「こういうものを探している」とか「こんな感じにしたい」みたいな抽象的な希望を登録しておくと、ZOZOスタッフがそれに沿った商品を5点程選んだ上、自分が指定したタイミングで送ってくれるという素晴らしいサービスでした。

私は服を選ぶことさえめんどくさく感じ始めていたので、数ヶ月ごとに送られてくるトレンドを押さえつつ自分の好みを踏まえたいくつかの商品の中から必要なものだけを選ぶという購買スタイルがとても心地よかったのですが、多分手間の割に利益にはならなかったのだと推察しますが定期便サービスは終了してしまい、非常に落胆したことを記憶しています。

もしかしたら、私のようにサービスを溺愛するユーザーが少なかったのかもしれません。

 

身近なモノの話に終始してしまいましたが、私たちは、日々、物理的なモノだけでなく、人間関係や自分の進路など、目に見えない事柄についても可能性や選択肢から何かを選ぶという決断を下しています。

限られた時間の中で、”自分のキャリアの為に今この勉強をするのも必要だけど、少し先を見据えてあの情報も集めておきたい” とか、“必要な経験を積む為に付き合っておくべきなのはこの人だけど、衝動と感覚だけに従うとこの人と時間を過ごしたい” とか、考えることが多くて疲れるってことがある人は、少なくないんじゃないかなと思います。

だからこそ、ミニマリストに憧れたり、人や物の断捨離に勤しむ人が多く存在しているんじゃないかなと思います。

 

でも、選択肢が多くて辛いと思うことは、しんどいことでもありますが、一方で「選べる」ということは幸せなことでもあります。

“考えなくていい幸せ” があると同時に “考えることのできる幸せ” も当然あって、同じ事柄をどっちに捉えられるかは結局その人のコンディションによるのかもしれないな、とこれだけ書いてきて思いました。

あと、「あれも好き、これも好き」「あれも欲しい、これも欲しい」「あれもしたい、これもしたい」って思えることは、心が元気な証拠である気もしてきました。

 

というわけで今後は、選択肢に対峙した時、「選ぶのしんどい」と思うのではなく、「こんなに選択肢があって恵まれてる」と思えるよう、心と体に余裕を持ちながら生活していきたいと思います。

あなたにも楽しんで決断できる選択肢が降ってくることをお祈りしています。