Room Me Mine

迷子のアラフォー部屋

【case/No.011】ステイホームと声高に言われる度に、独り身であることにやるせなさを感じてしまいます。

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新型のウイルスが猛威を振るい続けています。目に見えない敵を前に私たち人間は右往左往する日々が続いています。

恐怖心とか義務感とかでとりあえず1年頑張りました。

でも、どうやらまだまだ “我慢の時期” が続きそう。私たちに寄り添い、最適な策を講じているとは到底思えない政府への怒りも目に見える形で大きくなってきているように感じます。

 

人との接触を避けることがウイルス感染防止の最大の策であり、多くの人は ”新しい生活様式” に従い粛々と各々の毎日を送っていますが、「ステイホーム」と言われ、家に籠っていることを強制される日々の中で、孤独感を強めている人もいます。

今日は、そんなアラフォー女子メイコさん(42)のお話です。

 

メイコさんは大都市で働く独身女性。大学を卒業後、就職氷河期と言われる中でも名の知れた大企業に就職し、現在まで大きな不満もトラブルも無く勤め続けている所謂バリキャリ女性です。

但し「バリキャリ」というのは他者からの評価であり、本人は「仕事やキャリアが全て!」と思っている訳でも無く、たまたま誠実に仕事を続けていたら40歳を超えていました、と言う感覚の方が近いかも知れません。

もちろん彼女の丁寧な仕事や職場での人付き合いなどは大いに評価されていて、彼女自身も仕事とプライベートのバランスや、踏み込み過ぎない人間関係を心地良く思っています。

 

メイコさんの家族はとても仲が良く、両親の夫婦関係も良好で、メイコさんは実家が大好きです。

そして、いつか自分も両親のような結婚ができればいいなと漠然とした憧れを抱いてきました。

両親は仕事を頑張っているメイコさんを尊重し、結婚について何か言ってくるようなことはありませんでしたが、ひとり娘の自分がずっと独り身でいる事を心配している節があることは何となく感じています。

 

20代の終わりに一度、そして、30代の終わりに二度目の友人たちの結婚ブームがありました。

20代後半は、自分には全く結婚願望も無かったし、仕事も充実していたため特に焦りを感じることもありませんでしたが、二度目の波の時は、自分が思っていたよりも大きなショックを受けました。

 

しばらく友人知人の結婚式から遠ざかっていたこともあり、結婚というものの現実味が薄れていたこと。

しかし、自分自身30代後半から結婚を意識し始め、少しずつ婚活を始めていたものの全く上手くいっていなかったこと。

自分以上に仕事に熱心で、勝手に結婚する気が無いのだろうと思っていた知人までもが結婚したこと。

なんとなく年間イベントのルーティーンを一緒にこなしてきた友人たちが結婚・出産したことで会いづらくなったこと。

 

様々な理由が、アラフォー独女のメイコさんに、予想以上の重みを持ってのし掛かってきました。

 

そこにきて、新型のウイルスが日常を激変させました。

最初は新しい生活様式に順応する事に必死で、非日常をなんとかやりくりするので精一杯でした。

まずはその一日を健康で終えることが最大級の目標で、”ステイホーム” により、これまで忙しさにかまけて見ないふりをしてきた事、後回しにしてきた事に向き合え、新鮮に感じることも多々ありました。

フィジカルな接触が憚られる中で、オンラインによるコミュニケーションが活発になり、変わっていくことと変わらないものの価値、みたいな事についてもすごく考える機会が増えました。

 

そんな生活の中で、これまでももちろん感じていた「ひとりの時間」「孤独」というものが、異様な存在感を持って迫ってくる夜が何度もありました。

 

メイコさんにとって、ひとりの時間はとても大切で、自分の好きなものに囲まれたひとりの空間も手放したくないものの一つです。

自分で好きに計画を立てて実行するひとり時間はとても芳醇で、好きなものを好きな時に食べるとか、気ままに昼寝するとか、誰にも縛られない生活も大好きです。

しかし、ステイホームが推奨されるようになり、そんなひとり時間を充足させる為の things to do が次々と奪われていきました。

もちろん、ステイホームによって新たに始めた事もありますし、無用な飲み会が結構あった事にも気づけたし、良い側面があるのも事実です。

しかし、「孤独」という感じが、これまで以上にマイナスの意味を持って迫ってくることが増えました。

「仕事が休みの週末は家族以外には会わないように」「会食は原則家族のみ」などという声を聞くと、自分には家族が居ない、パートナーが居ない、ずっとひとりだ、という感覚が、とてもやるせなく感じてしまうのです。

 

差別や孤独を「貴方、なに馬鹿なこと言ってらして?」と華麗に蹴散らしてくれそうな美輪明宏さんは、「孤独」というのは、自分一人だけで充分満ち足りている状態なのだから、他人のお助けには及びませんと言う毅然とした誇り高い姿で堂々としているべきだとおっしゃっています。

孤独には「孤高の人」と言う意味合いもあり、孤独だからといって卑屈になったり惨めに思う必要は無い。

背後に何本も"つっかえ棒" などなくても自分一人の足だけで大地を踏みしめて立っている、充実している証しである、とも。

 

確かに、孤独=惨めであるとか、寂しいとか、そういう負の意味合いで捉える事は間違っているという意見には完全に同意します。

 

が、ストレス無くそのようにできる人はもちろんそれでいいけれど、そんな頑張れなくても全然いいと思うのです。

細かったり短かったりする "つっかえ棒" を何本も支えにして立ってもいいと思うのです。

それこそ一本のつっかえ棒に寄りかかって立っているのはとても危険ですが、そうじゃなくて、今の時代だからこそ色んなコミュニティや関係性の下に、色んなタイプのつっかえ棒を刺して、その時々必要に応じて寄っかからせてもらえば良いのではないかと。

つっかえ棒がたくさんあれば、一人に依存してしまうこともないからお互いしんどくないし、自分がひとりで突っ走れる時は外しておけばいいし。

 

“家族” は最初に触れ合う一番身近なコミュニティで、それが上手くいくに越したことはありません。

そして、自分が新しい”家族” を作りたいと思った時、それを上手く構築できるに越したことはありません。

でも、”家族” という枠に捉われなくても、血の繋がりとか関係なく、いつもお互いが気にかけてて味方で居てくれる人が見つかれば、マイナスな意味合いを持った孤独感は薄れるんじゃないかと思います。

相手は一人じゃなくていいし、物理的な面を担う人、精神的な面を担う人、バランスも人それぞれだろうから、家族、恋人、友人、趣味のサークル、職場、SNSとか、足りない部分を色んなコミュニティに属することで埋めていけばいいんじゃないかなと考えます。

 

ひとりでいる事が苦痛でない、むしろ好きだという人でも、今の長引く緊急事態は精神的に負担です。

しんどいなと思ったら、頭に浮かんだ誰かにそれを吐き出してみてください。

その人も、多分あなたのことを自分の ”つっかえ棒的存在” だと思っているはずです。

お互いに Long Distance Hug を送り合いましょう!