Room Me Mine

迷子のアラフォー部屋

【vol.016】あの人の欠点は十分に知っているけどそれでも好きなのはきっと自分がそれなりの年齢になったから。

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年齢を重ねると、私たちは主にこれまでの経験値を元に自分の心地良い人間関係を選択することが多くなります。

無意識的に直感で、または意識的に面倒を避ける防衛反応で。

 

そんな選別された人間関係の中でも、何かモヤモヤするけど腐れ縁が続いている人、

付かず離れずの関係だけどふとした時に動向が気になる人、そして、ちょっと納得いかないところがあるけど何か関係を断絶することができない人、みたいな相手がいませんか。

 

欠点について重々承知しているけど、それでも自分にとって大事だと思う人。

(「欠点」という言葉を使うのはおこがましい気もしますが、判りやすさの利点から採用します。)

欠点を差し引いても自分がその相手に与えられるものがある、きっと自分が相手に与えることができるものがある、と思えるのは、私たちが物事には様々な側面があるということを経験を通して知ってきたから。

 

“十分に欠点を知っている誰か” を受け受け入れることは、その誰かを好きな自分を受け入れるということとイコールです。

 

なぜ自分がその人を大事な存在だと思っているのかについて詰めていくと、現在対峙している自分自身の問題とか、自分が今重きを置いている事項が何なのかということに気づくことができます。

そして、その人と自分の関係をどういう風に展開させていくかということを考えることは、自分と向き合うことに直結します。

 

「相手の欠点を知ってるけど好き」というのは1020代でもあり得るのでは?とも考えてみましたが、若かりし頃の「それでも好き」という場合の多くは、私たちはそもそも相手に欠点など見ようとしない気がするのです。

 

相手が何か自分の思い通りにならない言動をした時、それらの発言や行為に対して不満を抱くことはあっても、そこに根付いている相手の欠点なるものに対しては然程向き合わないというか。

少々乱暴な言い方をすると「なんか意地悪されるけど、それでも顔面がタイプ」みたいな感覚です。

 

“私にとって” という前置きが必要になるかもしれませんが、若い頃の恋愛って消費の側面が大きいと思うのです。

現代を生きる若者文化的にそういった感覚は廃れているのかもしれませんが、恋愛自体が多面的にコンテンツ化されていることを鑑みるとそれほど見当違いでもないような気がします。

 

その上で、「欠点を承知した上で誰かを好きでい続ける」ことを自認した大人は、その時の自分と向き合えているという意味で、結構強いんじゃないかと思います。

 

そしてまた、”あの人”は、自分自身にも置き換えられるのです。

私は長い付き合いの中で、やっと少しずつ自分を客観的に見られるようになってきました。

未だに「嘘でしょ」と思ったり、消え入りたいくらい恥ずかしいと(一瞬だけ)思うこともありますが、それでもいいかと思えるようになってきました。

それって、「欠点は十分に知っているどそれでも好き」ってことだと思います。

 

演歌的な熱情ではなく、フラットな”好き”。

他人であっても、自分自身であっても、「欠点を承知した上で好き」だと思える相手は、自分を肯定したり奮い立たせる上で必要不可欠な存在であることに違いありません。

そんな誰かとのちょっと面倒な関係も楽しめるような余裕を持って、毎日を過ごしていきたいと思います。